否認に転じた?

代表弁護士 吉岡 毅

<復活掲載コラム>

 

7月12日(※2015年)、愛知県で65歳の男性が17歳の男子高校生に10か所以上を刺されて殺害される事件がありました。

先日の報道によると、

「少年は逮捕当初、殺意を認めていたが、その後の警察への取材で、少年が取り調べに対し、『殺すつもりはなかった』という趣旨の供述を始めたことが新たにわかった」

のだそうです。

テレビのコメンテーターたちは、少年が殺意の否認に転じたことを、あれこれ批判していました。

 

これと同様、被疑者が途中で『否認に転じた』ことを非難する報道が非常に多くて、報道に触れた人から「どうして途中で話が変わるのか? 弁護士が嘘をつかせているのか?」と質問を受けることがよくあります。

しかし、その疑問のほとんどは、取調べの実態を知らないまま報道内容を言葉どおりに受け取った結果の誤解です。

 

私は、上記の事件自体については弁護人でも関係者でも何でもないので、事実をまったく知りません。この事件について言いたいことは、特にありません。

ただ、具体的な事件を離れて、あくまでも一般論として、被疑者(容疑者)の捜査中の供述について報道がなされる場合に、取調室や接見室で実際には何が起こっているのか、架空の会話でお教えします。

 

 

【取調室にて】

刑 事 : お前がこのナイフで刺したんだよな?

被疑者 : ……はい。でも、そのときはビックリして……

刑 事 : 実際、被害者は死んだんだよ! 知ってるよな? 被害者、もう生きてないよな?

被疑者 : ……はい。

刑 事 : お前がナイフで刺したから死んだんだよ! そうだよな?

被疑者 : ……そうです。

刑 事 : だから、お前がナイフで刺して殺したんだろ?

被疑者 : ……はい。

刑 事 : こんなナイフで何度も刺したら、そりゃ当然、死ぬよな。痛ぇだろうなぁ。血もいっぱい出てよ。お前が今ここで俺に同じようにグサグサ刺されたら、間違いなく死ぬよな? 何ならやってみるか? 生きてられるわけないよな! それくらい、分かるだろ?

被疑者 : ……はい。

刑 事 : じゃ、これに名前書いて。

被疑者 : ……はい。

 

【警察官(刑事)が作成した供述調書の記載】

「僕は、持っていたナイフで相手を何度も刺して殺しました。当然ですが、このナイフで人を何度も刺せば間違いなく死ぬと分かっていました。」

 

【その晩、接見室にて】

弁護士 : 一体、どういう状況だったの?

被疑者 : おじいさんだから、ナイフを見せればすぐに怖がって逃げると思ったのに、逆に飛びかかられてしまって……。びっくりするぐらい強い力で胸ぐらをつかまれて大声で叫ばれたので、驚いて咄嗟にナイフを滅茶苦茶に動かしてしまったんです。

弁護士 : そのとき、相手を殺そうと思っていたの?

被疑者 : 全然思ってません。

弁護士 : じゃ、死んでもいいとは思っていた?

被疑者 : そんなこと思ってません。無我夢中で、何も考える余裕はなくて……。

弁護士 : もしそれが事実なら、取調べで話す場合でも、事実があった通りに言わないといけないね。

 

こうした被疑者の供述状況が、後から警察によってマスコミにリークされると、最初の報道内容(『否認に転じた』)になります。

被疑者が言おうとしていることは、最初から何も変わっていません。否認に「転じて」などいない。ただ、聴き方とまとめ方が違うだけだと考えるのが普通です。

その場合、『否認に転じた』という報道は、はたして正しいでしょうか?

 

 

もちろん、被疑者の言おうとしていることが正しい(真実)かどうかも、また別の話です。

殺意が認められるかどうかは、動機や計画性や犯行態様や凶器の種類などの様々な事情から慎重に判断されるものです。

否認したからといって殺意が否定されるという簡単な話ではありません。

 

ただし、それと同じように、取調べで認めたとか、自白調書にサインしたとかいったことだけで、それが“真実”だということにはなりません。

少なくとも、取調べを全部可視化していなければ、自白を信用する根拠は何もないのです。 

 

 

(初出:2015/7)