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美麗島恋歌

代表弁護士 吉岡 毅

<復活掲載コラム>

 

「ひゃくえん! ひゃくえん!」

 

なぜか2回言う。最初の頃、「ひゃく」が日本語だから「えん」も日本語だと思って失敗した。「えん」は「元(yuan)」。台湾ドルだ。

目の前で、大皿のかき氷の上に、カットされたマンゴーがこれでもかと山盛りにされ、加減という言葉を知らないのかと思うくらいたっぷりと練乳がかけられている。

ひゃくえん(100元)ってことは今なら大体350円。都市部では近年値上がり気味だが、地方の夜市はまだ安い。

受け取りながら、いつものように「しぇえしぇ」などと返すと、屋台のおじさんの顔がちょっと驚いた笑顔に変わる。さすがに「謝謝」とかは言い馴れてきた。

言葉がわかると思ったおじさんがいきなり早口で何かまくし立てるので、身振り手振りと日本語混じりで応戦する。それも、やたら楽しい。

 

 

どうやら私は、台湾に恋をしているらしい。

このところ毎年のように台湾を訪れている。長期滞在しても、飽きない。

子供の頃から武術や気功をやってきた影響もあるだろう。文革で武術家の多くが大陸から台湾や香港に逃れた。昔の私の先生(老師)も台湾で武術を学ばれたそうだ。

かといって、武術を学ぶために台湾を訪れているわけでもない。

 

台湾の何がいいのかとよく聞かれる。熱い夜市の風に、体を涼める西瓜汁。歴史と現代が交錯する街で、至るところ廟から漂い出る香煙。景勝地に温泉に日式オタクに風水に……。

行ったことのない人を説得するのは難しい。司馬遼太郎の「台湾紀行」だって、おそろしくつまらない。

 

台湾各地で触れる原住民文化も素晴らしい。

日本で「台湾の原住民」と言うと、背景を知らずにいきなり嫌な顔をする人もいる。原住民という言い方が彼らの人権理念に反するようだ。

しかし、原住民という呼称は彼らが正式に台湾政府に対して要求したもの。先住(あとさき)ではなく原住(もともと)なのだ。……人権を排他的に解釈してはならない。人権は他人を攻撃する道具ではない。

そういえば歌手のビビアン・スーも原住民の泰雅(タイヤル)族出身だ。母になった彼女は、以前の未熟な爛漫さから、大人びた芯のある明るさに変わったようだ。

 

日弁連では、2008年1月に台湾と韓国に刑事裁判や犯罪捜査に関する調査団をそれぞれ派遣した。台湾も韓国も、刑事手続において日本より進んだ面がたくさんある。いや、日本が世界から遅れすぎているのだ。

このとき私も海外調査団に加わったが、台湾ではなく韓国担当となり、取調べの可視化や保釈保証保険制度などをソウルで現地調査した。保釈保証制度は、その後の日弁連の努力で日本でも実現した。

 

台湾で、現地の法律書や六法をたくさん買い込んでいる。すると、法律用語や法体系が日本とかなり共通している。そのせいか、台湾華語(繁体字中国語)の勉強用に買い込んでいる児童書などより、かえってわかりやすい面もある。もっとも、積ん読ではどうせ身につかない。台湾で買う本は日本より安いが、家賃は日本相場で払う必要があるから困りものだ。

ちなみに、J-POPのCDも台湾だとかなり安い。CDなら積んでおかずに買ってすぐ聞けるのだが。

 

 

日本のすぐお隣に、戦争の歴史を経てなお、たいへん親日的な民主国家がある。これほど幸せな事実はない。奇跡的でさえある。

国と国でも、人と人でも、近くの大事なものほど目に入りにくいことがある。日本と台湾との距離感、日本人ひとりひとりと台湾という隣国(友人)との距離感は、私たちの目に本当に大切なものがきちんと映っているかどうかを問う試金石でもあるのではないか。

 

私は、「一百元」と「100円」の間にある「ひゃくえん」の距離感が大好きだ。

 

 

(初出:2011/03)