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『敷居の高さ』に司法改革の未来が見える

代表弁護士 吉岡 毅

<復活掲載コラム>

 

弁護士や法律事務所は“敷居が高い”と言われることがあります。

なんとなく怖そうとか、料金が高そうとかいったイメージでしょうか。

事実かどうかは別として、言わんとすることはよく分かります。

 

逆に、弁護士自身の側から、

「弁護士の敷居が高いから、司法の手助けが市民に行き届いていない。もっと身近な司法を実現すべきだ。」

などということを口にする人も多いようです。

法科大学院(=ロースクール)制度と弁護士の増員を中心とした司法改革を積極的に推進している人たちほど、好んでこうした言い回しを使っておられます。

 

しかし、このような意味で“敷居が高い”という言葉を使うのは、本来、日本語として間違いです。

 

 

“敷居が高い”とは、もともと、

「(自分が)何か不義理をしてしまって、相手の人のところに行きにくい」

という意味です。

たとえば、「馴染みの料理屋にツケを貯めてしまって、ずいぶん敷居が高くなった」とか、「実家には長らく帰っていないから、敷居が高い」などと使います。

行きにくいと感じる側に、何かの問題があるときに使う言葉なのです。

もし、親が子どもにむかって「実家の敷居は高いだろう」などと言えば、不義理で親不孝な子どもを叱りつけていることになります。

 

つまり、弁護士の側で、弁護士や法律事務所の“敷居が高い”と自ら言っている人たちは、

「市民の側が我々弁護士に対して普段から不義理な態度を取っているので、気楽に依頼に来ることができないのだ。市民のほうから弁護士の面目を立てて、もっと親密に接して来るようにしなさい。」

というような意味のことを、一生懸命おっしゃっているわけです。

……かなり上から目線なんですね。

 

それどころか、“敷居が高い”を誤用・誤解したうえで、

「敷居の低い弁護士」

を目指すだとか、

「法律事務所の敷居を下げる」

などという言い方をされている人もいます。

 

“敷居”は、引き戸やふすまなどで床の部分に使われている溝のついた横木のことです。床より高いと邪魔ですが、床より低いことには意味がなく、かえって危ないでしょう。比喩として成立していない表現です。

 

それはともかくとして、「敷居の低い弁護士」を言葉の意味どおりに解釈すると、

「(顧客である市民に対して)不義理や借りがあって、頼まれれば何でも言うことを聞く弁護士」

というような意味になるでしょう。

弱みを握られてヤクザの言いなりになっているような弁護士が想像されますね。

恐ろしいことです。

 

 

弁護士にとって、言葉(日本語)を正しく用いて、文章で相手(裁判官)を説得することは、最も重要な能力のひとつです。

このような間違った言葉で旗振りされている現在の司法改革に付き従っていって、本当に市民のための司法が実現できるのでしょうか?

 

 

もっとも、私は言葉狩りを推奨しているわけではありません。

日本語も、時代とともに変化します。

お気づきの方もおられると思いますが、先ほど私は「一生懸命」と書きました。

これは「一所懸命」が正しい日本語です。

しかし、誤用が広まった今は「一生懸命」でも辞書に載っていますし、どちらも正しいとされるようになりました。

特に、放送業界では「一生懸命」に統一されています。

「上から目線」も、新しい言葉ですね。

 

文化庁の調査によると、「敷居が高い」という言葉も、30代以下では「高級過ぎたり、上品過ぎたりして、入りにくい」という(間違った)意味で使われることが非常に増えているそうです。

「敷居の低い弁護士」という表現に市民の側が特別な違和感を感じることなく、むしろ親近感を持つ人が増えているのであれば、それはそれで、受け入れるべき時代の変化なのかもしれません。

 

 

なお、マスコミが誤用を押し通して正しい日本語を変えてしまうことや、専門用語の間違いをいつまでも訂正しようとしない例は、たくさんあります。

「世論(よろん)」を「世論(せろん)」に変えてしまったことなどが、そうです。

 

法律用語では、「(刑事事件の)被告」とか「容疑者」とか「犯人逮捕」などの言葉は、

どれも明らかに間違いです。

 

興味のある方は、

『弁護士吉岡毅の法律夜話』 逮捕される人とは?(1)-容疑者と被疑者の違い

もご参照ください。

 

 

(初出:2015/3)