代表弁護士 吉岡 毅
<復活掲載コラム>
ここ数年で、老齢やご病気の親族について成年後見人選任の申立てを依頼されたり、裁判所から専門職として成年後見人に選任されたりする事案が、かなり増えています。
被後見人の多くは、ご高齢になり認知症等を患ってしまった方です。
弁護士が成年後見に関わる事案は、身の回りのお世話(身上監護)が問題なのではなく、
親族では解決できないような財産管理上の問題を抱えている事案がほとんどです。
例えば、被後見人の財産が多額であって管理・処分の方法が複雑になるケースや、被後見人の介護方法や財産を巡って親族間に紛争が起きているケースなどです。
介護問題と法律紛争を同時に抱えたご家族は、二重の苦しみを受けてしまいます。
後見申立や後見人に選任される場合、できる限り被後見人ご本人に会いに行くようにします。
もちろん、後見人が必要な状態なのですから、まともに会話ができる方は、ほとんどいません。
誰が会いに来たか分かってもらえないのが普通で、ひと言ふた言でも言葉を交わせれば、かなり良い方です。
口もきけず、食事も自力では取れない寝たきり状態の方、自分が今どこにいるのか、自分は誰なのかといった認識さえも失われてしまった方などが、むしろ多数です。
被後見人ご本人がそういう状態であることは、会いに行くまでもなく記録から明らかなことです。
その場合、弁護士後見人が本人と面会しても、専門職としての財産管理において特に意味のある情報は得られないことになります。
そのため、被後見人本人とは面会することなく、淡々と財産管理だけを行う専門職後見人も、それなりにおられます。
しかし、記録に書かれた文字と、直接面会して受ける印象は、やはり違います。
被後見人の方の状況は、後見人に選任された弁護士が自分で確かめるべきだと思っています。
それに、面会したとき声をかけて何の反応がない人でも、もしかしたら耳だけは聞こえているんじゃないか、もしかしたら本当は分かっているんじゃないか……なんてことをちょっとでも考え始めたら、ご挨拶やご説明をまったくしないわけにはいきません。
医学的に考えても、植物状態でない以上、快・不快などの感情や周囲の状況に対する一定の感覚は残っているはず、なんじゃないでしょうか。
話しかけても分かるわけがない人に一生懸命話しかける私を、施設のスタッフの方が不思議そうな顔で見ていることもあります。
ある施設の方に被後見人の普段の状態を尋ねたとき、こんなふうに言われたことがあります。
「何も反応ありません。見当識(日時や場所や自分が現在おかれている環境などの生きるための基本的事項を理解する能力)もありません。ただ生きている。……毎日、ただ生かすための介護をしています。」
こうして文字で読むと、すごく冷たい言い方に感じるはずです。
けれども実際には、この方はとても正直で、おそらく誠実な人です。
「毎日、ただ生かすための介護」に苦しみや疑問を感じながら、それでも必死に介護の現場と向き合っている人だったのだと思います。
見当識を失い、自力での生活が困難な状態になったとき、その人の心はどんな状態にあるのでしょうか。
そのとき自分は、生きるということをどう感じるのでしょうか。
法律家の仕事は、時に、人の生と死の問題に正面から向き合うことを求められます。
成年後見事件も、そのひとつです。
(2015/2)
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道産子 (金曜日, 22 2月 2019 20:46)
はじめまして。
北海道の法律事務職員です。
建物収去土地明渡請求を検索していた所、こちらのサイトをに辿り付きました。
建物収去土地明渡請求の実話を読みましたが、とっても面白くて分かりやすいと思いました。
もっと、こういった面白いお話の更新をしていただきたい!と
鼻息を荒くしております。