人が一人死んでいるから……

代表弁護士 吉岡 毅

<復活掲載コラム>

 

2014年11月27日、さいたま地方裁判所にて、裁判所・弁護士会・検察庁が三庁合同で実施する「裁判員模擬裁判」と「模擬評議」が、丸一日かけて行われました。

 

模擬裁判や模擬評議は、裁判員制度の実施前には、埼玉を含め日本全国で多数回行われていましたが、制度実施後は、しばらく行われていませんでした。

今回、裁判員制度に関する実施5年後見直しの時期を過ぎ、久しぶりの模擬裁判となりました。

 

私も、裁判員制度が実施される前の三庁合同模擬裁判では、準備に数ヶ月、公判に何日もかけて行う本番同様の模擬裁判で、複数回、弁護士会代表の弁護人役を務めたことがあります。うち、一度は無罪判決も勝ち取っています。

(無罪判決を「勝ち取る」という表現は好きではありませんが、さすがに模擬裁判だと気兼ねなく使えますね。)

 

残念ながら、今回は一日限りの短い模擬裁判で、私は傍聴のみの参加でした。

それでも、他人の法廷活動をつぶさに見学したうえ、弁護士だけでなく、裁判官や検察官と意見交換できる機会は大変貴重であり、勉強になりました。

 

もっとも、こうした模擬裁判で一番興味深いのは、なんといっても模擬評議です。

本番の裁判員裁判と同様に、法律家ではない一般の方が、裁判員(6名)・補充裁判員(2名)として実際に審理に参加し、裁判官(3名)と一緒に被告人の量刑について評議をします。

ただし、本番と違って模擬裁判ですので、評議の様子は私たちの待機する別室にビデオで生中継されています。

 

今回の裁判員は、過去に本番の裁判員裁判を一度経験した方々の中から協力者を募って行われたため、裁判員の皆さんも少し慣れた様子で、積極的に意見交換していました。

 

 

 

この模擬評議からたくさんのことを学びました。

その中には、どうにも裁判員制度をこのままにしておいていはいけないと感じるような、非常にまずい場面もいくつかありました。

 

たとえば、こういうことがありました。

 

今回の模擬裁判は、「傷害致死」事件が題材でした。

事案は、飲み会の酔った席での揉め事から、被告人が同僚を素手で一発殴ってしまったところ、倒れた際の打ち所が悪くて、被害者が頭を打って死んでしまったという内容です。

 

有罪を認めている被告人に対して、

「同じ傷害致死という罪名のほかの事件と比較したときに、被告人の刑の重さは重いほうか軽いほうか」

ということを議論する場面がありました。

 

そこで、ある裁判員の方が言いました。

「重いほうも軽いほうもない。人が一人死んでいるという結果は、重いに決まっている。検察官の求刑が軽すぎる。」

 

その裁判員の方の言いたいことはわかります。

しかし、そのとき議論されている内容からすれば、その意見は明らかに間違っていました。

なぜなら、日本全国で毎年たくさん発生する「傷害致死」事件において、被害者は必ず死亡しているからです。

結果的に被害者が死亡してしまっているからこそ、「致死」事件なのです。

 

そして、同じ「傷害致死」という罪に対して、法律は「3年以上、20年以下の懲役」という極めて幅の広い刑を定めているのです。

凶器を使って滅茶苦茶に多数人を傷つけて人を何人も死なせた場合と、カッとなって一発殴ったら死なせてしまった場合は、当然に罪の重さが違わなければならないからです。

 

その裁判員の方が言った「人が一人死んでいるから」という意見は、単に「傷害致死事件だから」と言っているのと同じことになってしまうのです。

傷害致死事件には3年~20年の幅があるのに、「本件は傷害致死事件なんだから、とにかく重くていいんだ」という議論は、成立しません。

 

 

けれども、今回の模擬評議の場で、裁判官はこのことをうまく説明できていませんでした。

もちろん、これが実際の事件の評議だったとしても、うまく説明できなかったでしょう。

そのため、裁判員の方がその間違いに気付くことのないまま、最後に、被告人の刑が多数決で評決されていました。

 

 

 

裁判員裁判には、改善すべき点がたくさんあります。

しかし、実施5年後見直しの議論の中でも、弁護士会からの提言はすべて、政府・裁判所に無視されました。

特に、評議は完全な密室で行われ、裁判員は守秘義務を負わされます。

あらゆる過ちが、闇に葬られることになるのです。

 

 

「Kaizen(改善)」が世界に輸出される日本の美徳であるのは、まだ民間企業だけの話のようです。

 

 

(初出:2014/12)